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京都地方裁判所福知山支部 昭和52年(ワ)56号 判決

原告

山下善三郎

被告

津田正美

右訴訟代理人弁護士

芦田禮一

右同

野々山宏

右芦田禮一訴訟復代理人弁護士

井木ひろし

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

佐山雅彦

外四名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  原告の求める裁判

一  被告らは各自原告に対し金三〇〇万円及びこれに対する被告津田は昭和五二年一二月三日から、被告国は同月四日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行の宣言

第二  被告らの求める裁判

一  主文一、二項と同旨

二  敗訴による仮執行の場合の仮執行の免脱の宣言

第三  原告の請求原因

一  原告は、昭和四三年四月三日京都地方検察庁福知山支部検察官によつて被告津田の告訴に基づく暴行罪の公訴事実で京都地方裁判所福知山支部に起訴され、四〇回に及ぶ公判期日において審理を受けたすえ、昭和五〇年八月二六日第四一回公判期日に無罪の判決を宣告された。右判決は検察官の控訴がなく確定した。

二  被告津田の責任

(一)  被告津田は福知山市議会の保守系議員であるが、原告の革新的活動にかねてより不満を持ち、特に昭和四二年当時福知山市職労、教組の活動をなんとかして妨害しようと意図し、ためにそれに影響力のある原告を叩きのめそうと考えていた。

(二)  被告津田は、原告よりなんら暴行を受けていないのに二度にわたり暴行を受けたとして告訴に及んだ。誣告である。

(三)  被告津田は、警察官、検察官の取調に際し、虚偽の陳述を繰り返し、犯行日すら定かでないのに暴行事実の存在を強く申告して検察官に誤信させようと策動した。

(四)  被告津田は、福知山市長塩見精太郎や昭和四一年当時の福知山市議会副議長足立幸次郎らに働きかけ、原告の暴行事実があつたかのように捜査官に陳述させた。

(五)  被告津田は、原告に対する刑事公判の審理が進み、被告津田のデッチ上げ、誇大証言が明らかになつた後も、犯行日に関する供述をかえ、暴行現場に関する供述をかえる等して、あくまでも原告の刑事処罰を求めるべく策動した。

三  被告国の責任

(一)  検察官は、告訴事件、特に本件の如き政治的背景をもつ事案においては、告訴人の意図を考慮し、極めて慎重に捜査すべき義務があるのに、検事辻本俊彦は京都地方検察庁福知山支部検察官として、原告の陳弁に耳を貸さず、原告が他の目撃者とりわけ被告津田と政治的立場を共にしない者からの事情聴取をして慎重に捜査されるならば必ずや事実は明白となり、起訴される事案ではないと注意したにもかかわらず、捜査を尽さず起訴に及んだ。

右捜査がいかに杜撰であつたかは、犯行日の特定も出来ず、目撃証人の供述調書に誘導による無理があり公判廷では異なる証言になつたこと、原告のアリバイの主張について全く捜査していないこと等に顕著にあらわれている。

(二)  同検察官は、公訴提起後も、原告の主張に耳を貸さず、訴因変更までして公訴維持を図ろうとした。

(三)  更に同検察官は、原告の主張や裁判闘争を圧殺しようとして裁判所に働きかけ、検察庁裁判所間で警察官導入について協議し、早期結審を策謀した。

(四)  後任の公判立会検察官は、検察官一体の原則の理解を誤まり、公判の経過の中で公訴維持の困難を認識しながら、やみくもに有罪を主張し、公訴維持を続け、原告を長期間にわたり刑事被告人の座に置いた。

四  損害

原告は右起訴のため約七年五か月間にわたつて暴行事件の被告人としてその裁判を闘わねばならないことになり、次のとおり多大の経済的損害と精神的苦痛を受け、その損害額は少くとも三〇〇万円に達している。

(一)  経済的損害

1 原告は看板屋であり、一日最低一万円の純益を得ていた。しかるに本件裁判のため少くとも一〇〇日間の労働が不能となり、よつて一〇〇万円の損害を被つた。

2 原告は、真実を明らかにし、無罪判決を得るため弁護士を弁護人に選任し、事情により途中で辞任してもらつたものの、二〇回の公判期日に立会つてもらい、それとその打合せ等の費用(交通費、食費)及び日当として六〇万円を支弁した。

(二)  精神的苦痛

原告は七年五か月間にわたり暴行被告人として、社会生活において多大の精神的苦痛を被り、家族、親戚からも「暴行者」と見られ耐え難い生活を余儀なくされた。

その精神的苦痛を慰謝するに足る金員は一四〇万円が相当である。

五  請求

本件は被告津田の故意と被告国の公権力の行使にあたつた検察官の過失による共同不法行為である。よつて原告は、被告津田に対しては民法七〇九条により、被告国に対しては国家賠償法一条一項により、各自損害賠償金三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である被告津田については昭和五二年一二月三日から、被告国については同月四日から、各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第四  請求原因に対する被告らの認否

一  請求原因一項の事実は認める。

二  同二項の事実は、被告津田において、被告津田が福知山市議会議員であること及び被告津田が原告から二度にわたり暴行を受けたとして原告を告訴したことは認め、その余の事実は否認する。

三  同三項の事実は、被告国において、(一)のうち、検事辻本俊彦が京都地方検察庁福知山支部検察官として原告を暴行罪で起訴したこと、(二)のうち同検察官が訴因の変更をしたこと、(二)(四)のうち検察官が有罪を主張し公訴維持に努めたことを認め、その余の事実を否認する。

四  同四項の冒頭のうち、原告が約七年五か月間にわたつて暴行被告事件の被告人の地位にあつたことは認めるが、その余の事実は不知。

同四項(一)1の事実は不知。

同四項(一)2のうち、原告が弁護士を弁護人に選任し、弁護人が第一回から第二〇回公判期日まで出廷したこと及び原告が第二〇公判期日後に弁護人を解任したことは認めるが、その余の事実は不知。

同四項(二)の事実は不知。

五  同五項は争う。

第五  被告津田の主張

一  被告津田が原告から二度にわたつて暴行を受けたのは真実である。被告津田が原告を告訴したのは、右暴行がいずれも市議会議員としての公務に関連して市議会議場あるいはその関連施設でなされたものであるので、市民のための審議の場所を守る目的でしたものであつて、原告を陥れるためにしたものではない。

二  被告津田は警察官、検察官の取調に際し、自発的に真実を述べたものであつて虚偽の陳述はしていない。一部に年月の経過に伴なう記憶の後退による錯誤があつたが、被告津田はこれに気付いたときは検察官に申し出をしており、訴因が変更されたものである。

三  公判廷において被告津田は宣誓し、良心に従つて真実を証言した。一部に捜査時の供述と異なる証言をしたとしても、年月の経過による記憶の後退は人間として自然の現象であり許さるべきものである。

第六  被告国の主張

一  本件起訴の適法性

(一)  刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となることはなく、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、その公訴の提起は適法と解されている。

(二)  検察官は、警察において録取された被告津田(被害者)、原告(被疑者)の各供述調書のほか、公訴事実第一の昭和四一年一二月五日(後に同月二一日と訴因変更)の暴行事件の目撃者である福山雄三、塩見精太郎、水間音吉の各供述調書及び公訴事実第二の昭和四二年九月一九日の暴行事件の目撃者である安藤朝男の供述調書をそれぞれ検討したうえ、自らも被告津田、原告のほか塩見精太郎、足立幸次郎、安藤朝男を取調べた上で本件起訴をしているのであつて、証拠の収集に疎漏がなかつた。

(三)  捜査段階で収集された証拠を検討すると、原告を除く関係者の供述は、公訴事実第一に関し、原告が休憩時間中の市議会議場内のストーブ付近において福山雄三議員に対し抗議していたこと、更に原告がそれを制止した被告津田の胸倉付近を押すなどしたこと、そのため被告津田が後方の演壇の上へ後ずさりしたこと、そのころ議事再開の知らせがあつたこと、について供述は符合し、公訴事実第二に関し、原告が休憩時間中に議会事務局室で座つている被告津田の胸倉をつかんで二回位引つ張つたことについて供述は符合している。

原告も、捜査官に対し、公訴事実第一に関し被告津田を少し引つ張つたこと、公訴事実第二に関し部屋を出ようとする被告津田の衣服に触つたことを供述している。

検察官がこれらの供述を総合考慮し、本件各公訴事実を証拠によつて認定することができるものと判断したことは、十分に合理性を有するものである。

(四)  なお、関係者の供述は細部にわたつてすべて一致しているというものではなく、取調官による誘導がなかつたことはもちろんであり、関係者相互間における口裏合わせがあつたとは到底認められない。

(五)  公訴事実第一の犯行日が昭和四一年一二月五日から同月二一日へ訴因変更されたが、この変更は単なる日の変更であり、犯行に至る経緯や暴行内容等の大筋に変更を来たしたものではない。

二  本件公訴維持の適法性

(一)  公判廷で取調べられた証拠を総合勘案して、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、たとえ結果として無罪の判決が確定したとしても、その公訴維持は適法と解される。

(二)  公判廷で取調べられた被告津田及び目撃者の供述等によれば、本件公訴事実第一に関しては原告が議場内で被告津田の胸倉をつかみ、押したり引つ張つたりしたこと、公訴事実第二に関しては原告が議会事務局室において被告津田の胸倉をつかみ、あるいは右腕をつかんで同人を引つ張つたことを認めることができ、公判立会検察官が有罪立証をなしうると判断したことは、十分に合理性を有するものである。

もつとも、原告が刑事公判で申請して取調べられた証人芦田美義、同植村学(以上公訴事実第一)、証人岡井貞夫(公訴事実第二)の各証言はこれに反する証拠であるが、これらは信用するに足りない証拠であり、本件刑事判決においてもこれらは採用されていない。

(三)  本件刑事判決は、可罰的違法性の理論を採用して原告の各所為につき暴行罪の構成要件該当性を否定したものと解されるが、可罰的違法性の理論は、判例上も学説上も確定した理論ではないので、検察官が右理論を採用せず、証拠に基づき本件につき有罪判決が得られるものと判断し、公訴を提起し、公訴の維持を図つたことは極めて正当である。

(四)  検察官が公訴事実第一に関し訴因を変更したことは、単なる犯行の日の変更に過ぎず、いつたん起訴した暴行事実を否定し、別の暴行事実を主張したものではなく、検察官が訴因を変更して公訴を維持したのは極めて正当である。

(五)  第三回公判期日に裁判所構内に警察官が導入されたことは裁判所が独自に決定したことであり、検察官はこれに何等関与していない。

第七  証拠〈省略〉

理由

第一刑事裁判

一請求原因一項の事実は当事者間に争いがない。〈証拠〉によると、本件起訴にかかる公訴事実は次のとおりであると認められる。

(公訴事実)

被告人山下善三郎は

第一  昭和四一年一二月五日、福知山市字内記一三番地ノ一福知山市議会議場において、同議会の休憩中に、同市議会議員福山雄三に対し、同人の同日の市議会における発言をとらえて詰問していた際、同市議会議員津田正美(当四八年)が君の介入すべき問題ではないから議場外に出るようたしなめられたのに憤慨し、同人の胸倉をつかみ同人を押し、次いで引つ張るなどの暴行を加え

第二  同四二年九月一九日、同市字内記一三番地ノ一福知山市議会事務室において、前記津田正美の同日の市議会における発言に不満を持ち、同人の胸倉をつかみ、あるいは右腕をつかんで同人を引つ張るなどの暴行を加え

たものである。

二〈証拠〉によると、その後公判審理の過程で、公訴事実第一の犯行の日が昭和四一年一二月五日から同月二一日頃と訴因変更されたものと認められる。

三京都地方裁判所福知山支部が昭和五〇年八月二六日被告人山下善三郎に対し無罪の判決宣告をしたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証によると、右無罪判決は大要次のとおりであると認められる。

公訴事実第一について

「被告人は昭和四一年一二月末頃に開かれた同市議会の本会議を傍聴し、その休憩時間に議場内の理事者席と議員席の間におかれたストーブにあたりながら議員と雑談していた際、同市議会議員津田正美から荒い語調で、『ここは議員だけしか入れない。関係のない者は出て行け。』といわれたことに立腹し、同議員と口論となり、そのあげく被告人が『そんなんやつたら外へ出えや。』といいながら、同議員の胸のあたりを軽く押した。津田議員はとつさに被告人の手を払い、近くの演壇付近にあがつたが、まもなく休憩時間が終わり、事態はそのままおさまつた。」

との事実を認め、右行為の構成要件該当性の有無については、

「被告人の行為が前認定のとおりであり、その態様が殴る、蹴るといつたような暴行罪が処罰の対象とする典型的なものでなく、非典型的なものであるから、単に本会議休憩中の議場内における傍聴者の議員に対する行為としてこれを抽象化して評価するにとどまらず、被告人と被害者とされる津田との個人的な関係、行為に至る経緯など周辺の事情についてもこれを考慮に入れなければならないと考えるが、日時の特定が極めて不明確なことから、行為に至る経緯については前認定の範囲を超えてこれを明らかにすることができない。

(一)  被告人と津田正美の個人的な関係

〈証拠〉によると、

被告人と津田とは、ともに福知山市政に強い関心を抱いていたもので、津田が福知山市議会議員となつた昭和三八年五月以前からの旧知の間柄であり、一緒に雑談することも屡々で、酒を飲みかわしたことも二、三回ある。過去にも福知山市政に関して行動を共にし、津田が被告人に対し資料を提供するなどしたこともあり、昭和四一年一二月五日ころは、被告人が福知山市議会に対し「福知山市議会議員荻野善夫氏にからむ金銭授受問題に関する請願」を提出すべく努力していたところ、津田から、右請願をひつこめるな。頑張つてほしいと激励すらされていた。ところが、荻野善夫が保守系の議員であつたことから、保守系の議員の中にはこの請願の紹介議員となる者がなく、被告人は、市議会本会議の会期も終わりに近づいた同月二一日ころ、やむなく、その紹介を共産党の議員に依頼した。このことから保守系の議員である津田は被告人を快からず思うようになつた。以上のことが認められる。

(二)  福知山議会の慣例

〈証拠〉によれば、当時、福知山市議会の休憩時間中には、議員及び理事者以外の者も、議場内に立ち入ることを黙認されていたことは明らかである。

右のような背景のもとでなされた被告人と津田の争いの原因は、津田が嫌悪の情を露わにして、被告人に対し、『関係のない者は出ていけ。』と言つて高圧的な態度に出たことにあることが明らかである。単に傍聴者の議員に対する行為という抽象的なものではなく、その実体は口論であつて、口論における売り言葉に買い言葉で、被告人が『そんなやつたら外へ出えや。』と言いながら、津田の胸を軽く押した前認定の瞬時の行為は、右の言葉と同時になされ、いわばこれに付随し一体となつている意思表現のひとつの手段であつて、言葉とは別になされた故意ある行為、すなわち暴行と評価すべきものではないと解するのが相当である。」

として、構成要件該当性を否定した。公訴事実第二について

「昭和四二年九月一九日の福知山市議会本会議において、共産党の塩見敏治議員が「福知山駅前の市有地売却をめぐつて塩見精太郎市長がリベートを受けとつたともとれるような黒いうわさが飛んでいる。この点につき市長はすつきりさせるべきではないか。」という趣旨の質問をしたところ、大西重安議員から「右質問の中の言葉が不穏当だから取り消してもらいたい。」旨の発言があり、この点をめぐつて議会がもめはじめたとき、津田正美議員が『……議長のとられた処置は適当だと思いますからここで打ち切つて議事の進行をお願いします。』と発言した。この発言を契機に議事は進行され、同日午後三時五六分から午後四時六分の間休憩に入つた。その休憩中、被告人は第一議員控室において大西重安議員と暫時(三分ないし五分間くらい)雑談のあと、議会事務局の部屋に立ち寄つたところ、たまたま津田議員と顔を合わせた。右本会議を傍聴し、津田議員の発言を聞いていた被告人は、右部屋の椅子に座つている同議員に対し「疑問符のついたような発言を最後まで聞かずに中止させることはないじやないか。もつと議員たるもの慎重に審議せなあかんやないか。」という意味のことを言つたところ、同議員は、『議員がおまえらから指図を受けることないわい。』『くやしかつたら議員になつてみいや。』と言い返した。同じことを繰り返し言い合つていたが、津田が横を向いて被告人との問答に応じないので、被告人は同議員の胸の付近をつかんで手許の方へ一、二回引つ張り、被告人の方に向くように促したが、同議員は、これに従わず結局被告人との問答を避けて椅子を立ちあがり部屋を出ようとした。被告人は、部屋の入口付近で、右手で同議員の腕を引つ張り、『もうちよつと話を聞いたらどうや。』と言つたが、そのころ休憩時間終了の振鈴が鳴り、同議員が議場へ向つたので、そのままに終わつた。」

との事実を認め、右行為の構成要件該当性の有無については、

「被告人の行為が前認定のとおりであつて、公訴事実第一についてと同じく暴行罪が処罰の対象とする行為としては非典型的な形態のものであり、構成要件に該当するか否かを論ずるに当たつては、その行為の周辺の主観的客観的事情をも考慮しなければならないことはいうまでもない。

前認定の津田の福知山市議会における発言が、事実上市長の責任追及の腰を折つたことは津田自身これを認めるところであつて、同市議会における政党間の駆け引きという観点からはともかくとして、それ自体是非が問われる価値のある発言であつたと言つてよい。したがつて、福知山市政に極めて強い関心を持つている被告人が、これを聞いて憤慨したことは理解できないではなく、その後の休憩時間中たまたま津田と顔を合わせた機会に、右発言を非難し、津田に対し論争を挑んだことについては、その動機において極めて真しなものがあつたのである。被告人と津田との個人的な関係については公訴事実第一に関連して既に考察したところであるが、当時被告人と津田とは市政に関して反目し合つていた仲とはいえ、市政に関して長い付合いがあつたのであり、その気安さがあつたからこそ、被告人が津田に論争をしかけ、これに応じようとしない津田を論争に引き込もうとしてその身体に手を触れる行為に出たものと推測されるところ、その行為の態様は前認定のとおり、五分より少い時間中に生起した、回数にして三回くらい、胸の付近あるいは腕を引つ張るというもので、その引つ張る強さも論争に応ずるよう促す程度の比較的軽微のものであつた。

以上の事実を総合すると、右被告人の行為を暴行罪の処罰の対象となる行為すなわち構成要件に該当するというのは、いかにも社会通念に反すると思われる。」

として構成要件該当性を否定した。

第二被告津田の告訴、供述、証言

一被告津田が福知山市議会議員であり、原告から二度にわたり暴行を受けたとして原告を告訴したことは当事者間に争いがない。

二〈証拠〉によると、被告津田は昭和四二年一一月二二日福知山警察署司法警察員垣内康男に対し、(一)昭和四一年一二月二三日午後三時半頃福知山市議会が一時休憩に入つた際、議場内のストーブ附近で革新系議員数名が保守系議員福山雄三を追及して論争しているところへ議員でもない原告が傍聴席からストーブのところまで来て革新系議員と同じように福山議員を攻撃して野次をはじめたので、これを目撃した私は原告に対し、「君が介入すべき問題やないから表へ出よ」という意味のことを言つたところ、原告はやにわに私の背広の胸の辺を右手でつかみ、二、三回強くゆさぶりながら「お前こそ表へ出え」と言い、私がこれを払いのけて二、三歩後方にさがると、原告はなおも私を追いかけて来て再度私の胸倉をつかんで二、三歩引きずつたと述べ、(二)昭和四二年九月一九日午後三時半頃福知山市議会が塩見議員の発言をめぐつて紛糾したが、私が議事進行と発言してその場は一まずおさまり、一時休憩に入つたので私は市議会事務局室に入つたところ、原告が同室に入つて来て、いきなり私の胸倉をつかみ更に右腕をつかんで「お前はいらんことをいう」と言つて出口へ向けて二、三歩引きずる暴行を加えたので、私はこれを振り払つた、議事再開の鈴が鳴つたので私が議場に向つたところ、原告は廊下で再び私の右腕をつかみ、私を二、三歩引きずるという暴行をした、と供述して、公務執行妨害罪で原告を告訴したものと認められる。

〈証拠〉によると、被告津田は昭和四二年一二月一四日司法警察員垣内康男に対し、右(一)の被害の日を昭和四一年一二月二三日から同月五日に訂正する旨供述したものと認められる。

〈証拠〉によると、被告津田は昭和四三年二月一九日京都地方検察庁福知山支部で検察官辻本俊彦の取調を受けた際にも、ほぼ以上と同趣旨の供述をし原告に対する公務執行妨害での告訴を維持すると述べ、同年三月四日の同検察官の取調に対しても、原告の行為がたとえ公務執行妨害罪にあたらず、暴行罪であつたとしても処罰を求める気持に変りないと供述したものと認められる。

三〈証拠〉によると、被告津田は刑事公判において証人として証言したが、公訴事実第一については市議会議場で暴行を受けた年月日を議事録から窺える市議会での審議案件及び出席者からみて昭和四一年一二月二一日、時刻を夜九時頃と証言し、暴行を受けた態様及びその場に居合せた関係者の動向については必ずしも正確な記憶をしていないが、原告から胸倉をつかまれて押され、これを避けて議場の演壇に上つたことを強調して証言し、公訴事実第二については市議会事務局室で原告から胸倉をつかまれたこと、それを振り払つてから振鈴を聞いて廊下に出たら原告に再び後ろからつかまれて乱暴されたが、暴行の程度は事務局室内でより廊下でされた方が激しかつたと証言した。

四なお、被告津田は当審における被告本人尋問(第一回)において、私は市会議員の議会活動を妨害した人を対象として具体的氏名をあげずに告訴状を作成して警察へ提出したところ警察官の事情聴取を受け被疑者を原告に絞つた告訴調書となつたもので、告訴に先立つて市議会議長に対し議長が告訴、告発をすべきだと申し入れたがなされなかつたので私がしたと述べ、暴行の被害を受けた日時は警察の捜査で判明したところに従つて供述したと述べた。

そして、被告津田本人尋問(第二回)では、公訴事実第一につき、原告から暴行を受けて市議会議場の演壇に避けたところ原告はそれを引きずりおろしたもので、ストーブ付近にコークス箱があつたとしてもそこから演壇へ避けて上がることはできる、と述べ、公訴事実第二につき、原告から暴行を受けたのは振鈴が鳴つて議場に入ろうとしたとき廊下において受けたのが一番ひどく、その前の事務局室内でのはそれ程ひどくはなかつたが、事務局室内でも腕を引つ張られ、胸倉をつかまれたのを覚えている、と述べた。

第三目撃者の供述、証言

一公訴事実第一について

(一)  〈証拠〉によると、昭和四一年一二月当時も現在も福知山市長であり、昭和四一年一二月の福知山市議会に出席していた塩見精太郎は、昭和四二年一二月一四日司法警察員垣内康男に対し、「昭和四一年一二月五日午後福知山市議会議場で休憩時間中に原告が傍聴席からおりて来て福山雄三議員に何ごとかわめいたことがあつた。そのとき被告津田が原告に、君は関係ないから静かにしろ、というようなことを言つて制したことがきつかけとなつて、原告がいきなり被告津田の服の胸の辺をつかんで何ごとかわめきながらゆさぶりさらに押した。被告津田はそのため後方の演壇の上まで逃げたように思います。」と供述し、昭和四三年二月二六日検察官辻本俊彦に対し「一昨年一二月五日市議会が一時休憩した際に傍聴席にいた原告が柵を越えて議場に入つて来て、ストーブにあたつていた福山議員に喰つてかかつた。このときストーブにあたつていた被告津田が、君は関係がないから議場内から出て行けと言つたところ、これを聞いた原告が今度は同被告の方に寄つて行つて、いきなり同被告の胸倉をつかみわめきながら押しました。同被告はうしろの方へさがるようにして理事者席の前を通つて演壇の方へ行きました。私の座つている前を通つて行く頃原告は同被告の胸倉を放していたと思います。」と供述したことが認められる。

(二)  〈証拠〉によると、塩見精太郎は刑事公判において証人として証言したが、その証言要旨は「時刻は夜で、ストーブの附近で原告が大きな声で福山議員を非難していた。被告津田がこれをたしなめたところ、原告と同被告との間で口論となり、原告が同被告の胸のあたりに手をあてて押すように見えた。同被告は瞬間的に振り払つてうしろへさがつて演壇にあがつた。足立副議長が入つて来て、原告をなだめて議場から出した。原告が同被告の胸倉をつかんでいたかどうかわからない。捜査段階で原告が胸倉をつかんだと供述していないし、供述調書で原告が同被告の胸倉をつかんでいたのを見たとなつているとしたら、自分は当時多忙で調書の内容を慎重に読まなかつたからだと思う。」というものである。

塩見精太郎の証言は、供述調書よりも、原告のなした暴行の態様、程度が微弱となつている。

(三)  〈証拠〉によると、昭和四一年一二月当時福知山市議会の副議長であつた足立幸次郎は、昭和四三年二月二五日検察官辻本俊彦に対し、「一昨年一二月の市議会で傍聴席にいた原告が柵を越えて議場内に入つて来て福山議員に喰つてかかつていたが、それを見た被告津田が原告に『お前の入つてくるところではない』と言つたところ、原告は同被告の胸倉をつかんで表へ出よと引つ張つていました。私はこれを制止して議場を立ち去らせました。」と供述したことが認められる。

(四)  しかるに、〈証拠〉によると、足立幸次郎は刑事公判において証人として証言したが、その内容は「昭和四一年一二月二一日には市議会で請願の審議をし、議場が紛糾したため議長が午後九時四五分に一〇分間の休憩を宣したところ、原告が議場のストーブのところに来て福山議員に対し『おかしいじやないか』と大きな声で言つた。私は議場外の手洗いに行き、議場に戻つたところ、ストーブのところで今度は原告が被告津田に大きな声で抗議をしていたので、騒ぎが大きくなるといけないと思つて、原告にとにかくもう外へ出なさいと言つてドアのところまで一緒に行つて原告に議場外へ出てもらつた。私は原告が被告津田に手を出すところは見ていない。誰か他の人からそういうことを聞いたに過ぎない。検察官に対する供述調書は言葉が足りなかつたという風に思います。」というものである。

(五)  なお、足立幸次郎は当審における証言でも、当初は「議会の休憩中に原告が被告津田に暴行しているのを私がとめに入つたことがあります。」「休憩中に原告が同被告に暴行しているのを見ました。」と証言しながら、刑事公判での目撃否定証言に関して質問を受けると「私が目撃したのではなく他人から聞いたように思います。刑事裁判で言つたのが正しいと思います。」と証言し、被告国指定代理人の質問に対しては「休憩中トイレに行き、帰つて来た時原告と被告津田が口論していて原告が同被告に手をかけると言うか、暴行をしているのを私が止めに入つたのです。」と証言し、裁判官の質問に対しても原告が同被告に暴力をふるつたのは目撃した旨証言し、暴行の具体的態様については記憶がよみがえつて来ないと証言した。この証言のなされた民事法廷には原告は病気のため出頭していなかつた。

足立幸次郎の検察官に対する供述調書と刑事公判証言とは矛盾するものであり、その後の当審における証言を加味しても首尾一貫せず、同人が責任ある証言、供述をしていないことは明白である。

(六)  〈証拠〉によると、当時の市議会議員福山雄三は、昭和四二年一二月二六日司法警察員垣内康男に対し、「昭和四一年一二月五日午後三時か四時頃市議会本会議が一時休憩になつたとき、革新系議員が私に起立採決時の態度についてさんざん文句を言つていたところ、原告が私につつかかつて来て、被告津田がこれを制したところ、原告は同被告の胸倉をつかんで二、三歩強く押し、引きして同被告に乱暴した」と供述したものと認められる。

〈証拠〉によると、福山雄三は刑事公判において証人として「原告が被告津田に対し手をかけるとか暴行をしたとかいうことは今は記憶していない。」と証言したものと認められる。

(七)  〈証拠〉によると、昭和四一年一二月当時福知山市役所保健課長をしていた水間音吉は、昭和四二年一二月二七日司法警察員垣内康男に対し、「昨年一二月五日午後、市議会本会議場で休憩となつた直後傍聴席にいた原告が議場内のストーブの近くまで来て何か言つており、そのうち急に声を大きくして同じくストーブの近くで休んでいた被告津田の胸のへんをぐうと押したのです。押された同被告は後方の演壇の方へ押し上げられたと思います。」と供述したものと認められる。

〈証拠〉によると、水間音吉は刑事公判で証人として、「昭和四一年一二月の市議会の議場で、時刻は夕方と思うが、原告が被告津田を押したと思う。そんなに力を入れたような押し方ではなかつたけれども押したのは事実である。軽く押したと思う。同被告は押されて外へ出た。しかしこれが暴行という程のものかわからない。」と証言したものと認められる。

(八)  市議会議員松原忠一、同荒木信一は議場内のストーブの近くにいて現場をある程度目撃したのではないかとも考えられるが、〈証拠〉によると、両名はいずれも「右の事件についてその事実を目撃したことがありませんので暴行を立証することができません」という簡単な供述書を作成したにとどまり、前後の状況について触れるところがないので、被告津田から出て行けと言われて原告がストーブ付近で大声を出して被告津田に迫つた状況及びその前後の状況について明確なことは目撃していないものと解され、右両名につき捜査段階で供述調書が作成されなかつたことは当然と言わねばならない。

二公訴事実第二について

(一)  〈証拠〉によると、昭和四二年九月当時福知山市議会事務局職員であつた安藤朝男は、同年一一月二五日司法警察員垣内康男に対し、「いまひとつ不確かですが、昭和四二年九月一九日午後三時半頃市議会の本会議が休憩となり私が事務局室で休んでいたとき、被告津田が部屋に入つて来て休んだところ、原告も入つて来て同被告と何か口論をはじめ、原告はいつたん部屋を出かかりながら引返して来て、着席していた同被告の胸倉を手でつかみ一回か二回手もとの方へ引つ張りましたが同被告はそれに動じなかつたかと思います。」と供述し、昭和四三年三月一八日検察官辻本俊彦に対し「昭和四二年九月一九日市議会休憩中の午後三時半頃事務局室にいると被告津田が来て椅子に座つた。その時原告が事務局室に来て、座つている同被告と二こと三ことしやべつて、同被告の胸倉をつかみ出てこいと言いながら二回か三回引つ張つた。同被告は何か言つて手で原告の手を振り払つた。」と供述したものと認められる。

(二)  〈証拠〉によると、安藤朝男は刑事公判で証人として、「事務局室で被告津田と原告とが口論してトラブルがあつたことは記憶しているが、当時の状況ははつきり覚えておらず、原告が被告津田に手をかけ同被告の胸倉をつかんで引つ張つたのだと思うが確実な記憶はしていない。」と証言した。

三このほか、刑事公判では、証人家元丈夫、同大西重安、同荒木信一、同岡井貞夫(いずれも市議会議員)、同大西清(市職員)、同芦田美義、同植村学(いずれも傍聴人)が証言したが、公訴事実第一、第二いずれについても原告の暴行の有無を直接左右する証言とはなつていない。

第四原告の供述調書及び法廷供述

一供述調書

(一)  〈証拠〉によると、原告は公務執行妨害罪の告訴事件の被疑者として、昭和四三年一月一二日司法警察員垣内康男に対し、「第一点の昭和四一年一二月五日午後三時半頃、福知山市議会議場内のストーブの付近で被告津田に乱暴したとの点については、確かにそれに近いことはありましたが、告訴内容は極めて大げさなものであり、内容は大変曲げられているように思います。日時は四一年の寒い日であつたという以上に記憶はありません。休憩時間に入つたので私もストーブのところまで行つたところ、被告津田がここは議員でない者は入るところやないという意味のことを言つたので、私は大変憤慨して同被告と二こと三こと口論し、その折同被告の腕か胸のえりか忘れましたが、『そんなやつたら外へ出えや』と言つて少し引つ張つたという次第です。私の行為が暴行で論じられることがあつても休憩中のことで公務執行妨害罪として告訴される筋合いは全くないと存じます。第二点の昭和四二年九月一九日午後三時半ころ議会事務局室で同被告に暴行して公務執行妨害罪を犯したとの点については、事務局室で同被告とばつたり会い、口論となり、同被告がどこかへ行くらしく立ち上がろうとしたのです。それで私が同被告の両の肩を上から両手で押さえて『座つて話を聞け』と言つたのです。同被告は結局のところ立つて部屋を出ようとしたのでその入口付近で右手で相手の左二の腕の辺を一度引つ張り『もうちよつと話を聞いたらどうや』と言つたのです。通常の人の話の中に出てくるゼスチャーたる域を出たものとは思つておりません。」と供述したものと認められる。

(二)  〈証拠〉によると、原告は昭和四三年二月一二日被疑者として検察官辻本俊彦に対し、「一昨年一二月五日頃、市議会が休憩になつたとき、私は傍聴席から議場に入つて行つたところ被告津田がお前は議員ではないからこんな所に入つてくるなと私を馬鹿にした様な言動をとつたので、私は外へ出よと言つて同被告の身体を引つ張つたことがあります。袖口を引つ張つたのではないかと思います。胸倉をつかんだという様なことはないと思います。ほかに議員もおりましたので、私が胸倉をつかむような乱暴をしておればそれらの議員に聞いてもらえばはつきりすると思います。昨年九月一九日の市議会の休憩中に事務局室で、同被告が私の話を避けて議場へ行こうとするので、話をしようとこれを引き止めるべく同被告の衣服に触つたことはありますが胸倉をつかんだりする様な大それたことはしておらないと思います。その時の模様は事務の安藤さんが居られたので知つておると思います。」と供述したものと認められる。

(三)  〈証拠〉によると、司法警察員、検察官が原告を被疑者として取調べるにあたつて、原告に対し暴行、脅迫を加えていないことは、刑事公判廷において原告が自認するところである。

当審における原告本人尋問の結果によると、原告は本件で逮捕されたり勾留されたりしたことはなく、司法警察員、検察官の原告に対する取調は身柄不拘束のままなされたものと認められる。

よつて、右供述調書の任意性について、特段の疑問をさしはさむ余地はない。

二法廷供述

(一)  〈証拠〉によると、原告は刑事事件の第六回公判においてなした被告事件についての陳述で、昭和四一年一二月五日と昭和四二年九月一九日に被告津田に暴行を働いたとの点について、自分にはそんな覚えがなく、事実無根である旨述べたものと認められる。

(二)  当審における原告本人尋問において、原告は昭和四一年一二月市議会の終了後、ストーブにあたりながら福山議員に「慎重に審議せんとあかんじやないか」と言つたことがあるが、被告津田に暴行したことは一切なく、昭和四二年九月一九日市議会の休憩の折に議会事務局室へ行き空いている椅子にかけたことはあるが、被告津田の胸倉を押したりなどしていないと述べ、刑事判決で認定された第一の被告津田の胸のあたりを原告が軽く押したこと、第二の同被告の胸の付近を原告がつかんで手許の方へ一、二回引つ張つたこと及び部屋の入口付近で同被告の腕を引つ張つたこといずれも全然なかつたと強調する。

第五暴行に関する当審の判断

一以上によると、公訴事実第一、第二につき、刑事公判で前示無罪判決及び暴行に関連する一部の事実の認定の判示がなされたのは当然であり、当審も、原告が昭和四一年一二月市議会の休憩中に議場内のストーブ付近で被告津田の胸のあたりを軽く押したこと、昭和四二年九月一九日議会事務局室において同被告の胸の付近をつかんで手許の方へ一、二回引つ張つたこと及び部屋の入口付近で右手で同被告の腕を引つ張つたことは認定できるが、これらの行為はいずれも軽微なものであつて暴行罪としての構成要件に該当しないものと解する。

二原告は、前示のとおり当審において公訴事実第一、第二とも全く事実無根であると強調するが、公訴事実第一、第二の各暴行は認定されないものの、これらに関連しいずれの場合にも原告が被告津田に口論をいどんで被告津田の身体に接触したことは捜査段階の供述調書の中で原告が自認するところである。

第六被告津田の責任

一被告津田の捜査段階での供述及び刑事公判における証言は右当審の認定に比し、暴行を受けた態様及び程度につき誇張があるものと言わねばならない。

二しかしながら、暴行罪の構成要件に該当しない軽微なものではあるが、被告津田が原告から軽く押されたり、胸のあたりや腕を引つ張られたことは明白であり、それが市議会議員として議会活動をする過程で、休憩中の議場あるいは議会事務局室で口論のあげくなされたものであることからして、言論の府である議会における議員活動の自由の保障の観点からみて好ましいことではなく、被告津田がこれらについて原告から暴行を受けたものと解し原告を告訴したことは、全く事実無根の事柄についてことさら虚構の事実を主張して告訴したものとは言えない。請求原因二項(二)の事実は認められず、原告の右主張は採用できない。

三公訴事実第一の出来事が生じた日が、告訴では昭和四一年一二月二三日、起訴状では同月五日、その後の訴因変更による同月二一日頃とされたことは前示のとおりであるが、昭和四一年一二月の福知山市議会の開催された日に休憩中の議場で起つたことは一貫しており、ただ出来事の生じた日を暦日で特定するに際し、議事録から窺える市議会での審議案件及び出席者によつてこれを特定しようとして変遷があつたに過ぎず、被告津田が原告を無実の罪に陥れるため殊更虚偽の事実を述べ、このため出来事の生じた日が変遷したというものではない。請求原因二項(三)の事実は認められず、原告の右主張は採用できない。

四〈証拠〉中には、請求原因二項(四)に沿う原告の供述があるが、憶測によるものであり合理的根拠が明らかでなく、〈証拠〉に照らし措信できず、他に請求原因二項(四)の事実を認めるに足りる証拠はない。

五被告津田が刑事公判における証言で公訴事実第一の出来事の発生した日を捜査時の供述と異なり昭和四一年一二月二一日と証言したことは前判示のとおりであるが、証言の途中で変更したものではなく、変更の理由も前判示のとおりである。公訴事実第一、第二につき原告から受けたという暴行の態様に関する被告津田の証言が捜査時の供述調書の記載より簡略になつていることも前判示のとおりである。また、公訴事実第二の場所が、議会事務局室と限定されているところ、被告津田が事務局室のみならず廊下でも暴行を受けた如くに供述、証言していることも前判示のとおりである(公訴事実第二が廊下に及んでいないのは、この場所の分については目撃者がないため立証困難として検察官が起訴しなかつたものと思われる)。しかしながら、これらについて、被告津田があくまでも原告の処罰を求めるため殊更に虚構の事実を述べたものと認めるに足りない。請求原因二項(五)の事実は認められず、原告の右主張は採用できない。

六以上の判断から明らかなとおり、請求原因二項(一)の主張は原告の推測であり、合理的根拠があるものと認め難い。

七よつて、被告津田が原告に対し故意に不法行為をなしたと言うに足りない。

第七被告国の責任

一公訴事実第一の事件は公開の市議会議場の休憩中の出来事であり、同第二の事件は議会事務局室における出来事であり、いずれも前示のとおり、その状況を目撃した者が存在する。従つて、目撃者の目撃状況が最大の証拠と考えられるが、これらの目撃者は捜査時においてはかなり明確に原告の被告津田に対する暴行の状況を供述しながら、刑事公判においては、記憶がないとか、記憶していても幾分あいまいな、もしくは矛盾する証言をした。捜査時の各供述によれば公訴事実第一、第二とも有罪判決に至る十分な嫌疑があつたものと解するのが相当である。しかしながら、公判証言からすると嫌疑はあるものの十分とは言えない。この点で検察官は捜査時に目撃者及び被害者の供述を録取するにあたり、公判廷における尋問を想定して吟味した取調をなすべきであつたが、これが十分でなかつたため、刑法上の暴行罪に該当しない軽い有形力の行使事案を、暴行罪とし起訴するに至つたと言うほかない。

しかしながら、公訴事実第一、第二とも市議会議員の議会活動に関連して生じた出来事であり、議員の議会活動の自由を保障することが民主社会にとつて大切なことは言うまでもなく、議員に対する批判は言論と投票をもつてなさるべきで有形力の行使は厳に慎まねばならない。原告自身も検察官に対し、公訴事実第一に関し被告津田の身体を引つ張つたこと、同第二に関し制止のため同被告の衣服に触つたことを認め、ただ胸倉をつかむなどの大それたことはしていないと供述したのであるから、議員の議会活動の自由の保障という観点から、一般社会では見逃がされる軽度の有形力の行使についても、無視しえないものとして、刑法上の暴行と評価することは一個の見解として可能と言わねばならない。

もつとも、公訴事実第一、第二とも原告が被告津田の胸倉をつかんだこと、引つ張つたことを摘示しており、検察官はそれじたいを刑法上の暴行と構成していることは明らかであり、有形力の行使は軽度であるが議員の議会活動の自由の保障のため特に起訴した趣旨とは解されないが、外形上人の身体に向けられた有形力の行使があつた事案であるから、有罪判決に至る可能性があり、原告主張の如く「起訴される事案ではない」と断言するのは相当でなく、むしろ外形的事実のみを重視すれば有罪判決に至る可能性があり、起訴されてもやむを得ないと解することができる。

原告は、目撃者とりわけ被告津田と政治的立場を共にしない者からの事情聴取の欠落を指摘するが、公訴事実第一でこれに該当すると思われる市議会議員松原忠一、同荒木信一は前示のとおり原告の暴行を目撃したことがないと言うにとどまり、被告津田から出て行けと言われて原告がストーブ付近で大声を出し被告津田に迫つた状況及びその前後の状況について明確なことは目撃しておらず、格別とり上げるべき新事実を認識しているものではないので、捜査段階で右両名からの事情聴取が必要であつたとは言えない。公訴事実第二に関しては、安藤朝男以外に目撃者が存在したものと確定することができない。

原告は、公訴事実第一に関し、アリバイがあるかの如く主張するが、捜査段階でその主張がなされておらず、また刑事公判における証人芦田美義、同植村学の証言によつても原告にアリバイがあると解することは困難であり、検察官が原告のアリバイの捜査をなかつた点に手落ちはない。

以上の次第であり、検察官辻本俊彦のなした本件捜査及び公訴の提起に違法があつたと言うことはできない。請求原因三項(一)の事実は認められず、原告の右主張は採用できない。

二公訴事実第一につき訴因変更手続がなされたことは前示のとおりであり、〈証拠〉によると、この訴因変更は原告が第六回公判で被告事件に対する陳述をした際、目撃証人たる水間音吉が昭和四一年一二月五日の市議会に出席していないと述べたのに対応して、検察官が補充捜査のうえ、公判での紆余曲折を経て公訴事実第一の犯行日を同月二一日頃とする訴因変更の申立をなし、許可されたものと認められ、検察官が原告の主張に全く耳を貸さなかつたというものではない。

検察官が事案の真相を明らかにするため訴因変更の申立をし、公訴の維持を図ることは刑事訴訟法上認められており、本件全証拠によるも、本件で検察官がなした右訴因変更の申立その他公訴の維持が違法であるとは認め難い。請求原因三項(二)の事実は認められず、右主張は採用できない。

三〈証拠〉によると、京都地方裁判所福知山支部(裁判官勝本朝男)は、第二回公判期日が円滑に進行しなかつたため、昭和四三年六月三日の第三回公判期日を迎えるにあたり、審理の円滑な進行を企図し、法廷警備等につき対策を講じ警察官の派遣を要請すると共に、検察官に対しても、万一被告人不出頭の場合の勾引状の執行、万一法廷内での審理妨害が生じた場合の審判妨害罪での現行犯逮捕、に遺憾なきを期するよう申し入れたものと認められる。しかしながら、本件全証拠によるもこれが違法であると解するに足りず、また検察官が裁判所に対しこのような措置をとるよう働きかけたという証拠もなく、請求原因三項(三)の事実を認めることができない。

四本件が四〇回に及ぶ公判を重ねて結審し、無罪判決となり、原告が約七年五か月間にわたつて被告人の座にあつたことは当事者間に争いがない。

前示のとおり、刑事公判における証言で原告の被告津田に対する暴行を目撃したことを全く否定したのは証人足立幸次郎であるが、証人塩見精太郎、同水間音吉、同安藤朝男は、公訴事実とは異なるものの外形的事実として原告が被告津田の身体に有形力を行使したことを目撃した旨の証言をなしており、それが果たして刑法で言う暴行に該当するものかについての評価をしていないのであり、被害者である被告津田は原告から暴行を受けたと証言しているのであるから、公判の進行の過程で原告が無実の罪で起訴されたことが明らかとなり有罪になる見込みがないという状況であつたとは言えない。

従つて、検察官が公訴維持の困難を認識しながらやみくもに有罪を主張して公訴維持を続けたと言うことはできず、請求原因三項(四)の事実は認められず、原告の右主張は採用できない。

五よつて、被告国の公務員である検察官が公権力を行使するにあたり、違法があつたと認めるに足りない。

第八結論

以上の次第であり、被告津田の故意による不法行為責任、被告国の検察官の過失による国家賠償責任いずれについてもこれを肯認することができないので、損害の点について判断するまでもなく、原告の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官井正明)

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